錦生を歩く Walk

秋葉山



 

 

秋葉山と秋葉神社

上三谷と竜口の間にある秋葉山(433m)は、周辺では一番標高が高く、初瀬街道から名張市街までを広く見渡すことができます。秋葉山の山頂には、削平地があり、周辺には土塁や堀切の跡(福寿峯城跡)が残っています。
荘園時代~戦国時代にかけて、
「黒田の悪党」と言われた土豪衆によって、砦やのろし場として使われていた様子がしのばれます。
江戸時代には、中世城郭遺構の上に秋葉神社が設置され、火伏の神様として、特に1月の鎮火祭の日には、遠方からの参拝客が登山道に列をなすほど賑わいました。

 



 

 

名張の昔話「秋葉さん」

 



 

「上三谷と竜口との間に秋葉さんという山が高くそびえているんです。この山に古くから秋葉神社がまつられておりましてな。毎年一月十二日(今では十五日)には、伊賀や大和、それに伊勢方面からも、わらじばきでお参りする人々でいっぱいやったんです。登り道にのぼりの旗なんか立てて、それはそれはにぎやかやったんですのや。女の子らは、屋台でおはじきを買うてもらうのが楽しみでしたんや。…略…
秋葉さんの山に昔、遠州(静岡県の西部)からやって来た秋葉坊主という悪い坊主がおりましてな。この秋葉坊主が、秋葉さんの宝物を全部売り払って、酒に替えて飲んでしまったのですのや。」
『続なばりの昔話』,昭和59年4月21日発行,三重県立名張高等学校郷土研究部編集
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(ⅱ)秋葉山の歴史と現状
(1) 歴史
秋葉山頂には、削平地があり、周辺には土塁や堀きりの跡が残っていたことが知られていた。これは「三国地史」にある福寿峰城があったと推測されており、平成22年2月21日に伊賀中世城館調査会が実施した測量調査により、以下の図面が記録された。
福寿峰城の城主や用途などについては不明であるが、周囲に400mを越える高い山はなく名張盆地への眺望が開けることや、伊賀は土豪衆(黒田の悪党)が活躍した地域であり多くの砦が発見されていることなどから、当城もそうした土豪の砦の1つだった可能性があるとされている。そして、その砦が戦国期まで利用され、廃棄された後に神社が建ったのではないかと推測されるが、今日確認されている文献には載っておらず、確定はできてない(さらなる発掘調査による検証が必要である)。
秋葉神社が山頂にあった頃は、参道は松並木で、石の階段が整備されていたと言われている(谷川氏談)。しかし、松並木は、戦時中の松根油の供出のためにその殆どが伐採された。
【福寿峰城跡図】



 

(『古城雑記』平成2 2 年3 月8 日,伊賀中世城館調査会,調査日誌第2 6 0より)
秋葉山頂への現地踏査報告
1)現地踏査のルート・時間
①ルート
秋葉山頂へは3つのルートでアクセスすることができる。今回は、白山・秋葉神社近くの登場口からの山道を利用した(図2)。
②所要時間
往路45分、復路30分程度。

 

現状
ここでは、目安となる地点に便宜的な名前をつけ、現状の整理をおこなった。

 

【秋葉山頂への登山ルート】



 

①一の鳥居~拝殿跡
・入り口は比較的急な斜面が少しあり、その後比較的緩やかな斜面になる。

 

写真1 秋葉山入り口(左)と中腹までの間 (右)

 

拝殿跡付近には、竜神の祠と手水鉢が置かれている(現在も使用)(雨乞いの火上げが行われる場所?要確認)
・ここに山頂まで行けない人のための拝殿が置かれていたといわれている(要確認)

 

写真2 秋葉山中腹にある手水鉢(左上)、竜神様の祠(右上)、拝殿跡(下)

 

 

②急坂
・傾斜の急な坂道がしばらく続く。周囲の木々も多く、少し薄暗い。
③尾根参道
・人工的に加工されたような石を、ところどころで確認することができる。
・尾根参道は明るく、名張市内を見渡すことができる(現状では森林に覆われていて特定の場所でしか確認できないが、手入れがされれば見やすくなる)。
・山頂付近はやや急な傾斜となり、このあたりでは瓦が散乱しているのを見ることができる。
・山道には所々に松が見られるが、その多くは枯れている(マツクイムシ被害等)。

 

写真3 中腹の明るい山道(左)、加工されたような石(中)、松の木(右)

 

 

④山頂
・神社の拝殿で使われたと思われる瓦の破片や、手水鉢を散見することができる。
・山頂からの景観は、木々に覆われていて、現在は周囲を見渡すことができない。

 

写真4 山頂にある手水鉢(左)、瓦(中)、礎石(右)

 

写真5 山頂にある標識

 

 

投稿時間 :2012年09月10日(月)11時38分58秒

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