錦生を語る Tell

トラッドNabariの再発見

基調講演「名張の伝統文化~トラッドNabariの再発見」

 



 

伊井野:昨年の夏から、文化庁の総合文化活性化事業とう事業に応募しまして
めでたく当会が事業の採択を受けました。

 

全国的には、120から130ぐらいの地域の団体がこういうふうな取組みに関わっているわけですが具体的にどんなことをやっているかといいますと

 

例えば「伝統文化の復活の事業って何」と言った場合の120の殆どと言っていいくらいが
将棋とか、囲碁とかの復活・振興みたいな事業が扱われていることに私達は驚いたという経過があります。

 

この錦生赤目地区で、伝統文化、特に獅子舞の復活、
子供達の能楽振興の取組みを取り上げて復活させたいというような事業は、
全国でもそうないわけでして、そういう事業がこの地で取り組まれるということを
とても私達は誇りに思っていますし、それにたくさんのご協力を頂いた
櫻井先生をはじめ山口さんや、秋永さんにはお礼を申しているのですが
今日この8、7月から始まった事業のそれなりのまとめとして
このようなフォーラムを行わせていただくということになりました。
1月の秋葉山の鎮火祭には、この資料の中にも綴じこんでありますが
53年ぶりに上三谷の獅子舞が復活できたというような御めでたいことも皆さんのご協力もなりましたし今日も獅子舞を舞っていただく、黒田の獅子舞の保存会の皆さんにも、多大なご協力を頂いております。

 

こういう風な場を持って、私もそうなのですが、この地域に生活する人たちが豊かに生きるということを未来の子供達に引き継ぐということに重ね合わせて、こういう場が実りあるものになればいいなと本当に思っていますので、皆さんと共にこういう風な時間を過ごせることを喜びたいと、そういう風に思ってます。

 

短時間ではございますが、皆さんにも楽しんでいただき、色々ご質問等がありましたら、
是非発言をしていただいて、皆さんのものにこのフォーラムがなるように努力していきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
本日はありがとうございました。
司会:でははじめに、皇學館大學社会福祉学部学部長の櫻井治男先生より、基調講演の「名張の伝統文化‐トラッド名張を再発見」お願いいたします。

 




 

櫻井:皆さんこんにちは。
私もこのフォーラムの一員として参画をさせていただいておりましたので何かこの機会に話をしてはどうかというお誘いをいただきまして、40分ほどお時間をいただいております。
本日みなさんと一緒にこの名張を中心として、ここで伝えられてきている伝統文化というものをもう一度振り返ってみたいと思って、登壇いたしました。

 

「トラッド名張」という風にして書きましたら、いろいろ片仮名も入れるといいかなと思いましたのは今日の話題の一つの中心は、例の全国的にも有名なAKBの世界なんですね。

 

といいますのは、この地域、
丁度この公民館から南の方を見ますとまさに秋葉山が見えますね。
「秋葉というのは何か意味があるんだろう」ということから
今日はそういうことも含めて話をするようにというお誘いを受けました。
画面を見ていただきながら進めさせていただきますけれども
最初に3枚の写真を示したいと思います。

 

きっと皆さま方には馴染みがあるんじゃないかと思うのですが。
まず最初に石を見ていただきますと、2つのかわらしい石に注連縄をめぐらせております。
真ん中に山神と書いていますね。山の神様という表象なのです。

 

これは、宇田川を隔てました相良という地域で発見したものなんですけれども
こういう風に自然の石に山神と書いた石碑を三重県内で結構見るんです。

 

名張市は本日おいでの山口さんが、市史編纂の一環として
名張市内の山の神信仰の実態ということの報告書を作って
これは県内でもやはり現時点で把握された情報としてとても大事なものなのです。

 

これについて、山とういことと、山の神様ということを話題にしたいと思います。

 

 

それから2つめ。
これは〓セイキ〓にとって来ればよかったのですが、獅子舞の頭です。
私は現在伊勢市内に住んでおりますが、「お獅子さん」と言わずに、
伊勢の方では「おかしら」と呼んでいるんです。



 

「おかしらつき」というと何か魚みたいですけれども、非常に大事なものとして
皆さん扱っていらっしゃいます。これが2つ目の話題です。

 

名張市内三十数か所で獅子舞が行われておると聞きますが
三重県内では一体どういうふうな状況なんだろうということ、そして
そこの地域によってそれぞれ行われ方が違うんですね。
そのことを一部ちょっと見ていただいて参考にしていただこうと思っております。

 

それから3つめ、これこそ、私が名張へ寄せていただいて
「ああ、すごい。素晴しいな」と思ったものなんです。

 

(スライドを指して)「あ、これ自分知ってるぞ」とおっしゃる方いらっしゃいますでしょうか。
これは比較的大きなものなのですが、毎晩・毎日、自分の家へこの物が回ってくるんですね。
これは「お灯明」をつける灯篭籠というのでしょうか、そういう物になります。
実際には後ほどお話しますが、〓小連〓という集落でその行事が伝えられておりまして
そうした行事を行っていらっしゃることの意味を、現代というカタチで考えてみたい。
こういうのが本日の話題です。



 

さて、最初は山の神のことですけども。
1月7日、これは名張を含め伊賀地域では「鍵引き」行事というのが行われるということがございますね。

 

三重県はちょっと想像していただきますと、ダイヤモンドみたいな形になっております。
その下の方の東紀州、あるいは尾鷲。

 

具体的に言うと、尾鷲とかあちらのほうに行きますと、
山の神の行事というのが12月あるいは11月の7日に多いんです。
それ以外でも12月とかそういう時に行ったり、以外と伊賀地域では新春
すなわち年が改まっての7日の時におこなわれる。
ちょうど昔は旧のお正月というのは1月15日でしたね。
それが本来のお正月の日だといわれます。

 

何故かというと、暦を数えるのに、太陽の満ち欠けを中心に見ておりましたから
満月の日というのが一番満ち足りた状態。それが一つのスタートになっている。

 

ところが、その少し前7日ということで、これはいろいろ議論がありますが
ちょっとそれを置いておきまして、1月の7日というのは中国の暦とも関係するのですが
〓ジンジツ〓と呼ばれる人の祓いをするという行事がありました。
日本では1月7日ということで、しかも伊賀地域ではこの時に
「鍵」と称しますこうした月の〓枝の〓この一部を残して
これを枝やあるいは注連縄に引っ掛けて、そして財宝やあるいは富、宝を唱え言葉を唱えて
引っ張り寄せるという行事がおこなわれております。

 

こちらの中には、石を入れてやる〓ツト〓としてこういうものをぶら下げることによって引き寄せるというんですね。
中には、この「お鍵」というのは、じつは「オカゲマイリ」の語源なんだという説まで出るぐらい
この行事というのは全国的にも注目されている行事です。

 

 

いずれにしましても、こうして「鍵引き」が行われるところというのは山の神様の場ということになっているんですね。
そうしますと、日本の中で私達は山というものにどういう風な関わりを持ってきたかということを少し見てみようということで、まず日本の山を代表するというのになりますと、富士山というものを思い浮かべるだろうと思うんですね。

 

この富士山、ちょっと煙たそうに煙を吸っておりますけれども。
実はこの山には(スライドの)左の方に書きましたけれども、非常に古い時代から、記録の上から言いますと、古事記や万葉集、ああいうところにも登場する鋭鋒富士と呼ばれる山ですね。
その特徴は非常に険しい山であって、古くからは国家の鎮護として、鎮めとして、これが存在するんだというふうに、万葉集なんかでは歌われております。
ところが後には、お山に登ってそこで修行をしようという動きというのが出てまいります。
そうしたキーワードが六根清浄といいます。
こうした唱え言葉を唱えて、富士山の頂上を目指していく。
当初一部の方々がこの山を登って修行をさせていく。

 

それはもう本当に限られた、そうした修行をやろうという人たちに限られておりましたけれども、やがては江戸時代になりますと、
そうした山で修行をした人というのは大きな力を持っていらっしゃる。

 

何かそうした力を自分も、ということで富士山を進行する富士信仰というものが関東を中心に広がってまいります。
そして、東京では今でも富士塚とありますが、
富士山の溶岩を拾って帰って、自分の地域内に富士山のように積み上げて、
毎年6月のはじめには5合めから6合め、そして頂上を目指すような行司をやっていらっしゃるところもあります。

 

この点は、実は三重県の場合、伊勢や志摩の海辺の地域も富士山が見えるんですね。
そういう地域でも富士信仰というのが盛んです。

そうしましたところ、名張でも、私は美旗中村にあるお寺のところに行きましたら、
富士山の信仰を表す浅間神社を見かけたことがございます。

 

「ああ、この地域にも富士信仰とういのがあるんだ」ただ、その特徴の一つはやはり、
こうした厳しい山というものに特徴があるわけです。

 

そうした山とういのは日本の歴史を通じては大体2つ目に書きました修験の山というふうに呼ばれてまいりました。

 

修験というのは何か特別なパワーを修めるということですよね。

 

そして、そうした人達が加持祈祷を行ったり、あるいは地域のリーダーとして
何か宗教的な行事の主導をされるというそういう役割を持っておりました。

 

だいたい、修験といいますと、全国各地の霊山を回って修行をする人。
山伏というのは、ある一箇所に留まって、その山でずっと〓タイケン(14:25)〓をする人なんですね。

 

ですから、例えば私が全国をめぐって修行をする場合に、吉野へ行きますと、
吉野のそばを根城とする山伏の方々が先達となって案内をしてくれる。
こういう関係があるのです。そういう中で日本で代表的な山々をずっと挙げました。

 

実は、そうした山の一つに後でお話をします、秋葉の修跋とうのが見られます。

 

何故山へ登るのかということに関連しまして、一番下の、赤で書きましたが「〓山中他界観〓」という、「山の中というのは普段の私達の世界とは違う世界である」、そういう山にこもって、そこから出てくるときには人間というものは精神的にも大きく変わるんだという、そういう観念を持たれていた。
そういう役割とういものを霊山というのが持っていたという風にいわれるんですね。
同じような所というのは、世界各地に見渡すことが出来ます。
私はとてもこの山好きなのですが、写真等でしか見ておりませんが、〓カエラス〓山、チベットの〓チチク〓にある山です。

 

標高6656m。未踏峰というのは、ここは人は入ってはいけないということで、未踏峰になっているんですね。

 

今はもうそれは許されております。ただ、登る人はあるかも知れませんが、しかし、チベットでは、このカエラスを目指して、自分の生涯を、そのために生きている人がいるわけです。

 

これをカエラスへの巡礼者といいますか、その巡礼の仕方も〓ゴタイトウジ〓といいまして、
体を全部投げ打ちながらそして立ち上がって、また投げ打って、そうして一歩ずつ進んでいく。

 

この時の儀式の中には家を出る時には右足から出て、帰って来た時は左足から入るんだというふうにして、そういうことで山をめぐってくることによって、その人が大きな人生の意味を見出される。
そういう役割があるんですね。だから、行って帰ってくるんじゃなくて、非常に循環的な世界の中で心が、あるいは人格というものが変わっていく。そういう世界性というものを持っているんです。
こうしたものは、じつはアンデスの方にもあります。
アンデスの山の中に〓コンユリティ〓というちょっと変わった行事がございます。
詳しくはお話できませんが、こうした小さな子供達も、この山を目指して行きます。
ここでは、特に青年たちのイニシエーションというのですが、若者が一人前の大人となるための通過儀式をやるんですね。

 

これは、この面をかぶった人は鞭で打たれるんです。それを我慢しなければいけないとか、まあいろいろこれに伴なう儀式があるんですが、
それを平地じゃなくて、この山の中腹にあるところまで行って、その年齢に達した人は出かけて雪の中に手をしばらくつっこんで、
その冷たさを我慢したり鞭に打たれたりして、それを乗り越えることによって一人前だという、そういう社会の仕組みというのがございました。

 

こうしたお話をするのは、実は日本の山についても、日本の山としての特徴があるとともに、
世界に共通した文化性をも持っているわけですね。
この上三谷にあります秋葉山。実はそのご本宮というのは、静岡県の天竜区にある秋葉山ですね。

 

高さ866m。上三谷の山というのはほぼその半分の高さですね。

 

この山頂にこうした立派な御社がございます。
この秋葉山の発生というこについては今日はお話はいたしませんが、
秋葉というのは大体、火を護ってくれる火の神様とう信仰が強いんですね。

 

ですから、この頂上へ行きますと、このように纏いが飾られておりまして、
地元の消防団の人たちが奉納をされているわけですね。

 

このようにして火と火を護ってくれる。
火が蔓延することというのは、日本人の火の信仰から言いますと、共同体全体にとって危険だという、そういう強い観念があるんですね。
だから、地域の安全のために、
皆でこの火の神様をお祭りしようというそういう世界が発達してまいりました。

 

もう一つこの近隣で火の神様というと、京都にございます愛宕山ですね、
ちょっと移りが悪いですがこの当たりにある山です。
ここでは、私も教え子が働いてるんですが、一週間山頂で暮らすんですね。
そして終わると、麓へ降りてきて一週間休みをもらえる。
その間絶対降りてきたらあかん、ということらしい。

 

非常に自分の力で登っていかざるを得ない山なんですけども、
これも、ここに示しましたように「火の用心」として火の神様の信仰がございます。
秋葉と愛宕とどちらがえらいか、そういう比較はなくて、
いずれも両方祀られているというのは、日本の世界なんですけれども。

 

結局こうした火の神様に対する信仰を踏まえて、
人々がなんとかこの共同体の命に関わる火というものと
上手く接していくというそういう考え方として、秋葉山を祭るということがなされておりました。
名張市を見ますと、新田の地域の集落のはずれのところには、
愛宕神社さんをこういう形で祭っていらっしゃいます。

 

先ほどちょっとお見せしました秋葉山というのも、
もともとは修験の人たちが山へ登って修行をするところでした。
すなわち、富士山からずっと秋葉山まで見ますと、一つは山の正確として修行の場である。
それは私達普段はなかなか登れない、隔たったところになくちゃいかんわけですね。
それに対して、私達の文化の中でもう一つ身近なところに山がある。
それとも接している山への関わり方というのもあるんですね。

 

これが、ここに書きましたもう一つの山という世界です。
移りが悪いんですが、これは奈良県の三輪明神の鳥居ですね。
こちらに綺麗な山が見えておりますが、これは畝傍山、耳成山です。向こうが二条山ですね。
すなわち大和盆地の中でおだやかな姿をした山。これは古くから〓カンナビ〓というふうに呼ばれておりました。

 

カンナビというのは神様のいらっしゃる辺りという、言葉の上ではそういう意味なんですけど、
何か、神々しくて遠ざけるんじゃなくて、近くにいて接していける、
護ってくれるというそういうような捉え方をされる山なんですね。
その山をちょっと理念化しますと、実は神様のお山というのは、これはご神体の山と。
その山頂には山の宮という神様の鎮まり所がある。
ところが、その山の神様は春先になると里へ降りてこられて、やがて農作業が始まると、
田の神様となって田の実りを祝福してくださる。
そして、刈り取りが終わると、再び里宮でお祭り行事をした後、山へ帰っていかれるんだという、神様の循環の観念というものを持たれていたわけです。

 

こういう観点からしますと、私達の身近な山、
山頂に祠があったり、そして麓でまたその祠をお祭りしたり、
あるいはそのお祭りごとそのものが、自分達の生産あるいは地域が豊かになることを願って、
毎年繰り返された儀式というのを生み出している、
そういう背景というのが見られると思うんです。

 

そうした中で、人々は祈るばかりではなくてそれを楽しみとして過ごしていたのが、
年中行事として3月あるいは4月1日に地域の小高い山に登って、終日遊ぶ「山遊び」という行事がございます。

 

これは、ほとんど日本国中でも無くなりました。
ただ、古くは奈良時代に出来た風土記の中にも「山遊び」をしたという記述が出てまいりまして、非常に古くから行われてきたものなんですね。

 

だから、私達の身近なところにある山というのは、同時に信仰的な世界だけじゃなくて、
地域の人々がそこで楽しみ、そして終日のんびり出来るそういう世界として捉えていたとうことが分かると思うんです。
そうした中で、上三谷へ参りますと、
これはこちらへお邪魔してから最初の頃参りましたので、こうした道路に〓カンジョウ〓縄を掲げていらっしゃいました。

 

この上三谷の秋葉山、そしてこちらでは頭にお供え物を乗せて運ばれる「頭上運搬」という
県内でも非常に珍しい行事を今に伝えていらっしゃいますが、ちょうど山と麓があり、
そして田がありとうところが、一連の中で世界を作っているということがわかっていただけるんじゃないか、

それをずっと名張では、行事を通じてそして実際に地域の環境と接することで、
守ってこられた。こういう文化性というものを一つの伝統文化としてみることができるんじゃないかと思います。

 

ちょっと余分ですが、そうした山が何故大事とされるかというところには、
山の神やあるいは〓ミクマリ〓の神といいまして、「水」ということと非常に結びついているところがございます。
そうした水の信仰との関係では、山の上で雨乞い儀礼をしたり、あるいは、そこは実は蛇がたくさんいる中で、蛇の信仰とつながっていったりするところです。
さて、ちょっと時間的に迫ってまいりましたので、早く申し上げますが、
次は獅子舞行事ですね。

 

これは、先ほど申しましたように市内に非常に多くございます。
これは、伊勢地方の〓山上〓という地名なんですが、獅子なんです。
これを「おかしら」と呼んでおります。これは普段お寺の中の祠に納まってるんですね。

 

これはものすごく重たいんですが、これを持ち上げて、行事をされます。
これは、ここだけなんですね、私も見たのは。
これはね、化粧をするんです。真っ白なおしろいと口紅を塗るんです。
毎年毎年。そうでないとこの獅子舞は舞わない。これは珍しいお獅子さんですね。

 

三重県の獅子舞というのはいくつかタイプがございます。
これの分類の研究はあるんですけれども、どうも分かり難いので、むしろそれはどういう風にして舞われていくかということに注目して分けたんですが、
全国を獅子舞が〓順部〓して行くタイプ。これは〓桑名の大神楽〓というのが非常に有名です。

 

 

1年中ずっと各地を回っておられるんです。
そして12月25日、〓桑名市タユウ町〓の〓マスダ神社〓というところで、
最終的に帰ってきたということで奉納を終わられる。
そうして全国的なことに対してある程度の地域性を持ってめぐられるもの。

 

 

この中の、2番目のところで私が書いておりませんのは、
実はこの伊賀でいうと、敢国神社の獅子舞がそうなんですね。
この伊賀地方〓一円〓をめぐっていらっしゃった。そうした獅子舞がこの伊賀地域内の各集落で受け継がれて、
そしてそれを地域内で今度は皆さん方が担って回られるという、そういう仕組みというのが生まれてきたわけです。

 

それと、もう一つはちょっと違って地域限定化、村内での限定的なものもございます。
これは名張での地域の獅子舞もそうでしょうが、伊勢の場合の行事を少しみていただこうと思います。
ちょっと音が悪いですが、これは2人舞ですね。

 

頭の中に一人中に入って後ろで広げております。
笛と太鼓で新春の行事なんですけれども、県の無形民俗文化財に指定されておりますが、
こうして舞われる。基本的には若者が獅子を担う。後は年輩の方々がこうした場所でその様子を見守っていろいろと指導をされているという、こういうタイプのものです。
一般に伊勢地方ではこれを「お頭神事」という風に呼んでおります。

 

それから、その次ぎが、同じ地域をめぐるといいましても、こうした大神楽系の芸能的要素の強いものを見ていただこうと思います。
これは〓ヤノ浜〓という〓尾鷲〓の獅子舞ですね。
基本的には一人立ちなんですが、後ろではこう引っ掛けて。子供達が獅子を囃して、叩いているわけですけれども。

 

このこと自体が獅子を囃すとともに、自分達の災厄を獅子さんに付託してどっかへ持っていってもらうという行事がございます。
非常に華やかな拍子を取ってますね。

 

さて、このような獅子舞には必ず天狗というのが登場します。
獅子と天狗がセットで登場する理由というのは色々と考察も可能なんですけれども、ちょっと様子だけ見ていただきますが、だいたい獅子が厳格な存在であれば、天狗というのは「チョケ」といいましょうか、獅子をからかうようなことをするんです。

 

すなわち、道化的な役割をすることによって、この行事の中に緊張とホッとした世界この両方を持つことによってこの行事というものが、人々の関心を寄せ付けるという、そういう要素を持っております。

 

 

最後のお灯明です。これは先ほど〓ショウレンジ〓でお見かけしましたと申しました。
実は新聞記事でもこの地方で話題になったのですが、一軒の当番が二つの灯明台を受け継がれると、その夜に火を灯して、次ぎはまた隣の家へ渡される。

 

回ってきた家としては何十件かのうち何十回、1年のうち何回か巡ってくる。
これは伝統行事で面倒くさいし、旅行も行けへんときもあるし、時には何日も置いとこうかなというような状況はあるんだということは言われますが。

 

こうした行事はもう一箇所、新町の愛宕神社のあるところでもおこなわれております。

 

ここでは、こういう小さなものを持って、ここにめぐり順番が書いてあるんですね。
「こっからこの次の家、ここへ行く、ここへ行く…」。実際にこうして家でロウソクに火を灯して担いで来られて、愛宕山の前に〓ゴシントウ〓を掲げられる。

 

そういう行事なんですけども、実はこのめぐり順とか、
あるいはこうした仕組みというものは、
たとえば「うちはもう一人なんで、えらい(大変)んだ」ということになると、

 

わざわざ愛宕山へ行かなくても、お灯明をあげるだけでもいいという形に柔軟に運用されてますが、お隣さんから外れない仕組みなんですね。

 

 

もちろん、昔は地域全体でそういうものは巡っていたようですが、今は「うちはもうちょっと遠慮しときます」というようなことも起こっております。
それでも、この地域ではこうした行事を通じてお隣さんに声かけができ、そしてそのことを通じて地域が何かこうつながっていくと言うのは、

 

改めて考えましたら、これまでのこうした伝統的な行事が新たな社会的な結合をもう一度生み出さなくても、その基盤を持っているということなんですね。
そうした基盤というものが、これ伝統行事とともに全て無くなったときに、
私達人間は新たな絆を作るというのは大変なことだろうと思います。

 

そういうことを、どういうふうに現代の中で捉え返していくか、
そのことが実際には地域にとっても重要な部分があるんじゃないかという風に思うところです。

 

こうしたことを最初にお話をさせていただきまして、ちょうど時間がきたようなので、この辺りで急ぎ足でしたが、名張の伝統文化の一部をお話ししますが、最後にまとめとして申し上げておきたいことが何点かございます。

 

 

私達が伝統行事としていろいろなものがありますが、その時間との関係で申しますと、
一つは生まれてから死ぬまでの一生の中で体験する時間の中での体験行事があります。
これは、お宮参りとかあるいは結婚式とか、厄年の行事とかそういうのがありますが、それは一回きりなんですね。

 

それに対して毎年繰り返される行事、これは1日単位、あるいは一ヶ月単位、一年単位で繰り返しというのがあります。

 

これは、常に循環的な時間なんですね。もちろん、私は今年60であれば来年61になる。
しかし、ことし春というものがあれば、来年も多分、私が生きてる生きてないに関わらず必ず春というものがある。
そういう中で私達はこれを体験しているということは、どっちかといえば、一生に関わるものは個人的な経験になる。

 

それに対して循環的な時間の観念というものは共同社会の中で体験されている。
だから、その共同社会というもののつながりを確認したり強めていく役割というものを、ともに行事をすることによって、私達の先人達は受け継いでこられたわけですね。

 

伊賀地方の年中行事もそういう点で、循環的なものです。祭りもそういう時間の中で経験されるものです。
こうしたものを、ちょっと資料ではお配りできませんでしたが、伊賀地方は年末と初月の色んな行事がございます。

 

 

〓成木攻め〓なんていう行事は、年の初めに柿木にキズをつけて、そこにお粥さんを乗せて、これ15日に多かったようですが、その時の唱え言葉に「もし、おまえちゃんと今年も実らなければ、切ったるぞ」と言って、柿に脅しをかけてやる行事なんです。
だいたいそれは家の親子が出ていって、お父さんがそうやって「切るぞ」というと、
子供さんが下の方から「切らないで、切らないで」とパフォーマンスをしたんです。

 

これは実は名張で結構多いというふうに、古い記録に出てくるんです。
現代では私あまり見かけたことはございませんが、この成木攻めというのはサルカニ合戦の基盤になっているんだろうという捉え方もあるんです。

 

そうしたお正月の行事とともに、お盆の行事も豊かでございます。それとともに秋のお祭りですね。比重としてはこの地域では秋のお祭り。やはり収穫を得て皆さんが豊かに過ごしていかれる、こういう行事があるということを改めて確認させていただきまして、名張の伝統行事のそれぞれの特徴というものを、皆さんと一緒に築き上げたいと思います。

 

少し時間がオーバーして申し訳ありませんが、
この辺りでお話を終了させていただきます。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

投稿時間 :2012年09月12日(水)05時24分59秒

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