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なばりの昔ばなし



 

郷土史研究家の池田裕氏に紹介していただいた文献
『続 なばりの昔話』の中に上三谷の歴史に関する記事が記載されていた。
その中から、「秋葉さん」「忍者の見張り台」を下記に抜粋しました。

 

 



 

『続なばりの昔話』

昭和59年4月21日発行
編集 三重県立名張高等学校 郷土研究部
発行 三重県立名張高等学校同窓会

 

 

『秋葉さん』

 
上三谷と竜口との間に秋葉さんという山が高くそびえているんです。この山に古くから秋葉神社がまつられておりましてな。毎年一月十二日(今では十五日)には、伊賀や大和、それに伊勢方面からも、わらじばきでお参りする人々でいぱいやったんです。登り道にのぼりの旗なんか立てて、それはそれはにぎやかやったんですのや。女の子らは、屋台でおはじきを買うてもらうのが楽しみでしたんや。

 
秋葉さんは愛宕さんと同じでしてな。火伏せの神さんとして信仰を集めていたのですんやわ。明治に入って、村は合祀に反対やったんですが、矢川の春日神社に移されてしもうたんです。
ところが、どうしても秋葉さんを、上三谷に連れ戻したいという村人の願いが強くてな。終戦後になって、分霊を村に戻したんです。戻した秋葉さんは、元の秋葉さんの山にまつらんと、村の入り口近くの大地に白山神社といっしょにまつられておりますのやわ。
秋葉さんの山に昔、遠州(静岡県の西部)からやって来た秋葉坊主という悪い坊主がおりましてな。この秋葉坊主が、秋葉さんの宝物を全部売り払って、酒に替えて飲んでしまったのですのや。

 
この秋葉坊主が赤めの丈六に出かけたときに、丈六の杉浦家で泊めてもらったお礼に秋葉さんのお札を渡したんです。それからしばらくたった日、丈六一帯が火事になったんですのや。このとき、杉浦家の人は、秋葉さんのお札に向かって「どうか家が焼けませんように」と、一生懸命にお願いしたんですのや。
すると不思議なことに、隣近所の家が全部焼けているのに、杉浦家だけは火災にあわずに、そっくり残ったそうですのや。

 
また昔のこと、秋葉さんの大きなヒノキの木を切り出して、大金持ちになった人がおったそうですのや。ところが、秋葉さんの木を切ったら、バチがあたると言い伝えられていた通り、この長者の家に次々と不幸が訪れたということですのや。
また、この秋葉さんの北側の山は、「耳なし大蛇」がすんでいるさかいに、勝手に行ったら大蛇が出てくるぞ。」と、言い聞かせておりますんやわ。

 
話・岡田しかへさん(明治32年生まれ)
北森泰市さん(大正9年まれ)

 

 

 

 

『忍者の見張台』

 
忍者が住んでいた竜口は、山々に囲まれているもんで、外敵から身を守るのに絶好の土地であったんや。村の外側には、城山と竜王山と秋葉山の三つの高い山があってな。それらの山から外を見張ることが出来たんや。そして、いざというときは、その山からのろしを上げて、村に連絡したんや。

 
天正伊賀の乱のときに、織田の大軍が竜口に攻めてきたのやが、かねてから忍者がこの三つの山に登って見張っていたんや。そのとき、敵が大和川から攻めてきたので、それを発見した城山の忍者は、のろしを上げたんや。それを見た竜王山と秋葉山の見張りの人もすかさず、隣の村の長坂村や上三谷に合図ののろしを上げたんや。
一つの山から上げたのろしが、次から次へと見張台に伝わり、それが遠くにまで連絡できるようにしてあったんや。

 
竜口の忍者は、深い谷や険しい山を利用して、得意のゲリラ戦法で織田軍と戦って、散々な目にあわせたんや。けど、なんといっても大軍の織田や。切っても切っても押し寄せて来るもんで、次々とやられてな。そのうちに城山や竜王山、秋葉山も攻め落とされてしまったんや。
竜口にある田んぼは、高い山地や谷にあるんで、昔、よく水不足で村人を苦しめていたんや。水不足のときは、見張台になっていた竜王山で、雨乞いのために火上げをやっていたんや。それは戦前までやったなあ。

 

 

 

話・久保栄太郎さん(大正12年生まれ)
百地義博さん(昭和2年生まれ)
山口博さん(昭和4年生まれ)

投稿時間 :2012年09月13日(木)05時24分05秒

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